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別府貫一郎

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「ナポリ風景」 油彩画・キャンバス F10号 
制作年:1968年

別府貫一郎(べっぷ・かんいちろう)1900−1992年


佐賀県生れ、川端画学校洋画部で藤島武二に師事、1926年春陽会展春陽会賞、
1929年から1933年までイタリアに滞在し制作活動、
1936年国画会展招待出品イタリア風景画10点、
1951年日本美術会委員長、1955年岡本唐貴、山上嘉吉等と点々会創立、
1957年林倭衛に関するエッセイを書く、
イタリア滞在中に作家林芙美子と交流、平塚市美術館所蔵

別府の描くイタリアは誰もがもつ郷愁感を表現している。
佐賀生れの別府がどのような幼少期を過ごしたのか知らないが作品を見れば一目瞭然、
私にはイタリア風景の奥底に日本の風景が見える。
帰国後、国画会、日本美術会、点々会、一線美術会、新世紀美術協会など多くの会を渡り歩く。
果たしてイタリア滞在は別府の画業人生ににどのような影響を残したのか。
記述された文献が見あたらず画家としての着地点が見えてこないが非常に精神性の高い画家であったと思う。


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「テヴェレ河畔(羅馬)」油彩画・板 F2号 
制作年:不詳


ローマ市内を流れるテヴェレ川の中州にかかるファブリチオ橋と
サン・ピエトロ大聖堂、サンタンジェロ城が描かれている。
2号サイズの板に描かれたものなので現地で制作し持ち帰ったものと思われる。



by art-tomnog2014 | 2014-03-28 23:21

小村雪岱

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邦枝完二原作「お傳地獄」挿絵木版画 14×20㎝ 
制作年:不詳
(解題:上州ではかねてお傳を待っていた博徒達がいる)

小村雪岱(こむら・せったい)1887−1940年


埼玉・川越生れ、1908年東京美術学校日本画科卒業、
1914年泉鏡花著「日本橋」の装幀、1918年資生堂意匠部入社、資生堂デザインを手掛ける。
1922年から新聞・雑誌の挿絵を手掛ける。1924年から歌舞伎・新派・舞踊などの舞台装置を手掛ける。


装幀家、挿絵家、舞台装置家として活躍した小村雪岱は本来日本画家であるが
装幀などに見られるモダンな描写は当時としてはとびきりの才能であった。

お傳地獄は邦枝の小説にとどまらず映画化されたこともあって人気作品である。
本作品は挿絵原画を忠実に再現しているがどのような経緯で作られたものか不明である。
小村雪岱の研究家であった亡き従兄が所蔵していたものである。
(絵画コレクターである私に研究資料として遺族が預けてくれた。)

他の作品もそうであるが挿絵原画や雪岱監修の版画はほとんど残っていない。
現存の版画はほとんどが没後の刊行であり、復刻されたものである。


従兄は雪岱の挿絵が掲載された雑誌500余冊(大正15年~昭和15年)を研究用として所蔵していた。
おそらくこれほどの貴重な研究資料は他に例を見ない。現在は公立美術館に寄託され雪岱考察に活かされている。


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これは小村雪岱画譜の107番
画譜のあとがきによると画譜掲載画は新聞の掲載紙や本を土台に転写し製版したものとある。
挿絵原画(新聞社所蔵)は全部火災にあって1枚も残っていなかったというのだ。
画譜発行は昭和31年である。





(所蔵参考資料)
小村雪岱とその時代・埼玉県立近代美術館(2009年)
文と絵の出合い・さいたま文学館(2001年)
小村雪岱・埼玉県立近代美術館(1983年)
小村雪岱画譜・龍星閣(1956年)
芸術新潮2010年2月号
版画芸術146号(2009年)



by art-tomnog2014 | 2014-03-22 15:23

高野三三男

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「頭巾の女」 油彩画・キャンバス F8号 
制作年:1960年代推定

高野三三男(こうの・みさお)1900−1979年


東京・深川生れ、1921年東京高等商船学校中退、本郷洋画研究所入所、
1922年東京美術学校洋画科入学、
1924年岡田謙三、高崎剛、岡上りう等と渡仏、
サロン系展覧会出品・仏国画壇で評価される。
1930年仏国政府買上、藤田嗣治、薩摩治郎八と交流、
1940年帰国後、一水会会員、文展・日展等の審査員


日動サロン図録(1965年)に似た作品あり。その頃に描かれたものと推測する。
独自のパレットナイフで描く作品はその特異性から後年、画にクラックが入ってしまう特徴もある。

1930年代当時は繊細で優雅な点を評価するものもあれば、
ローランサン風の甘さを批判する向きもあり賛否両論とあるが
パトロン薩摩治郎八は「彼だけは何時巴里に返り咲いても、めしの喰える日本画家である。」と手ばなしで誉めている。
確かに当時、巴里に住み、絵を売って生活できた日本人は藤田、荻須、高野だったといわれている。

私は半世紀も歳が違い出合うことはあり得ないが、30歳代の高野の活躍を目のあたりにしたかった。
それほど高野の作品に惚れている。



(所蔵参考資料)
高野三三男アール・デコのパリ、モダン東京・目黒区美術館(1997年)
薩摩治郎八と巴里の日本人画家たち(1998年)
高野三三男展・日動画廊(1965年)
美術手帖1951年10月号
パリの日本人画家、1920年代を中心に・目黒区美術館(1994年)



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「裸婦」鉛筆、コンテ・紙 55×44㎝ 制作年:1930年代推定

パリ滞在時代の油彩画「コロンビーヌ」(1929年)やデッサン「花を持つ裸婦」(1930年)と
モチーフ、構図、質感が同じである。
両腕や手指のアンバランスさは高野の特徴であり
安らぎを求める顔の表情に重きをおいた独自の作品と感じられる。




by art-tomnog2014 | 2014-03-22 10:46

森田信夫

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「アムール河の初雪」 油彩画・キャンバス P10号 
制作年:1971年

森田信夫(もりた・のぶお)1921−1996年

京都生れ、1947年東京美術学校油画科卒業、日展入選、1949年二科会特選、1962年二科会会員、女子美術大学講師、桑沢学園講師、1964年東京造形大学絵画科主任教授、1977年東京都美術館・国際交流展開催、板橋区立美術館、練馬区立美術館に作品収蔵

この作品は東京造形大学絵画主任教授をしていた頃、ソビエト旅行をした際に制作されたものである。
質感はとても穏やかである。静謐で写実的、精密に描きこまれ、現地の様子が手に取るように伝わってくる。
森田は他に人物画も残しているがこちらも丁寧精密に描かれ人気を博した。
なかなか市場に出てこないがぜひ出合いたいものである。
また一時抽象画の制作活動も行っていた。
どんな作品を描いたのか想像できないがまだ見ぬ抽象画にも思いを馳せている今日日である。



ー2016年12月1日追記ー
この作品、額の裏板と挿し箱には「ソビエト旅行」と題されているがキャンバス裏側には、森田の直筆で「アムール河の初雪」(シベリア・ハバロフスク)と書かれている。
1956年の日ソ国交回復で横浜からナホトカの定期航路が開設され、ハバロフスクはモスクワへ向かう経由地となったことから、多くの旅行者が訪れるようになったという。
森田の写生旅行は、多くの画家が向かう欧州ではなく厳寒のソビエトだった。おそらくそれ以前にも訪れたい地であったのだろうか。
ハバロフスクの岸辺より初雪のアムール河をのぞみ、多くの想いを抱きながら筆を運んだ様子が伺える。
絵画教授として学生たちのために構図・彩色ともに写実のお手本となるべく丁寧精緻に仕上げた。
こうした正統派の絵が1枚は欲しいものである。


by art-tomnog2014 | 2014-03-19 08:56

平凡なサラリーマンが20数年かけて蒐集した絵画を紹介しています。

by art-tomnog2014
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