小村雪岱

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邦枝完二原作「お傳地獄」挿絵木版画 14×20㎝ 
制作年:不詳
(解題:上州ではかねてお傳を待っていた博徒達がいる)

小村雪岱(こむら・せったい)1887−1940年


埼玉・川越生れ、1908年東京美術学校日本画科卒業、
1914年泉鏡花著「日本橋」の装幀、1918年資生堂意匠部入社、資生堂デザインを手掛ける。
1922年から新聞・雑誌の挿絵を手掛ける。1924年から歌舞伎・新派・舞踊などの舞台装置を手掛ける。


装幀家、挿絵家、舞台装置家として活躍した小村雪岱は本来日本画家であるが
装幀などに見られるモダンな描写は当時としてはとびきりの才能であった。

お傳地獄は邦枝の小説にとどまらず映画化されたこともあって人気作品である。
本作品は挿絵原画を忠実に再現しているがどのような経緯で作られたものか不明である。
小村雪岱の研究家であった亡き従兄が所蔵していたものである。
(絵画コレクターである私に研究資料として遺族が預けてくれた。)

他の作品もそうであるが挿絵原画や雪岱監修の版画はほとんど残っていない。
現存の版画はほとんどが没後の刊行であり、復刻されたものである。


従兄は雪岱の挿絵が掲載された雑誌500余冊(大正15年~昭和15年)を研究用として所蔵していた。
おそらくこれほどの貴重な研究資料は他に例を見ない。現在は公立美術館に寄託され雪岱考察に活かされている。


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これは小村雪岱画譜の107番
画譜のあとがきによると画譜掲載画は新聞の掲載紙や本を土台に転写し製版したものとある。
挿絵原画(新聞社所蔵)は全部火災にあって1枚も残っていなかったというのだ。
画譜発行は昭和31年である。





(所蔵参考資料)
小村雪岱とその時代・埼玉県立近代美術館(2009年)
文と絵の出合い・さいたま文学館(2001年)
小村雪岱・埼玉県立近代美術館(1983年)
小村雪岱画譜・龍星閣(1956年)
芸術新潮2010年2月号
版画芸術146号(2009年)



# by art-tomnog2014 | 2014-03-22 15:23

高野三三男

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「頭巾の女」 油彩画・キャンバス F8号 
制作年:1960年代推定

高野三三男(こうの・みさお)1900−1979年


東京・深川生れ、1921年東京高等商船学校中退、本郷洋画研究所入所、
1922年東京美術学校洋画科入学、
1924年岡田謙三、高崎剛、岡上りう等と渡仏、
サロン系展覧会出品・仏国画壇で評価される。
1930年仏国政府買上、藤田嗣治、薩摩治郎八と交流、
1940年帰国後、一水会会員、文展・日展等の審査員


日動サロン図録(1965年)に似た作品あり。その頃に描かれたものと推測する。
独自のパレットナイフで描く作品はその特異性から後年、画にクラックが入ってしまう特徴もある。

1930年代当時は繊細で優雅な点を評価するものもあれば、
ローランサン風の甘さを批判する向きもあり賛否両論とあるが
パトロン薩摩治郎八は「彼だけは何時巴里に返り咲いても、めしの喰える日本画家である。」と手ばなしで誉めている。
確かに当時、巴里に住み、絵を売って生活できた日本人は藤田、荻須、高野だったといわれている。

私は半世紀も歳が違い出合うことはあり得ないが、30歳代の高野の活躍を目のあたりにしたかった。
それほど高野の作品に惚れている。



(所蔵参考資料)
高野三三男アール・デコのパリ、モダン東京・目黒区美術館(1997年)
薩摩治郎八と巴里の日本人画家たち(1998年)
高野三三男展・日動画廊(1965年)
美術手帖1951年10月号
パリの日本人画家、1920年代を中心に・目黒区美術館(1994年)



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「裸婦」鉛筆、コンテ・紙 55×44㎝ 制作年:1930年代推定

パリ滞在時代の油彩画「コロンビーヌ」(1929年)やデッサン「花を持つ裸婦」(1930年)と
モチーフ、構図、質感が同じである。
両腕や手指のアンバランスさは高野の特徴であり
安らぎを求める顔の表情に重きをおいた独自の作品と感じられる。




# by art-tomnog2014 | 2014-03-22 10:46

森田信夫

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「アムール河の初雪」 油彩画・キャンバス P10号 
制作年:1971年

森田信夫(もりた・のぶお)1921−1996年

京都生れ、1947年東京美術学校油画科卒業、日展入選、1949年二科会特選、1962年二科会会員、女子美術大学講師、桑沢学園講師、1964年東京造形大学絵画科主任教授、1977年東京都美術館・国際交流展開催、板橋区立美術館、練馬区立美術館に作品収蔵

この作品は東京造形大学絵画主任教授をしていた頃、ソビエト旅行をした際に制作されたものである。
質感はとても穏やかである。静謐で写実的、精密に描きこまれ、現地の様子が手に取るように伝わってくる。
森田は他に人物画も残しているがこちらも丁寧精密に描かれ人気を博した。
なかなか市場に出てこないがぜひ出合いたいものである。
また一時抽象画の制作活動も行っていた。
どんな作品を描いたのか想像できないがまだ見ぬ抽象画にも思いを馳せている今日日である。



ー2016年12月1日追記ー
この作品、額の裏板と挿し箱には「ソビエト旅行」と題されているがキャンバス裏側には、森田の直筆で「アムール河の初雪」(シベリア・ハバロフスク)と書かれている。
1956年の日ソ国交回復で横浜からナホトカの定期航路が開設され、ハバロフスクはモスクワへ向かう経由地となったことから、多くの旅行者が訪れるようになったという。
森田の写生旅行は、多くの画家が向かう欧州ではなく厳寒のソビエトだった。おそらくそれ以前にも訪れたい地であったのだろうか。
ハバロフスクの岸辺より初雪のアムール河をのぞみ、多くの想いを抱きながら筆を運んだ様子が伺える。
絵画教授として学生たちのために構図・彩色ともに写実のお手本となるべく丁寧精緻に仕上げた。
こうした正統派の絵が1枚は欲しいものである。


# by art-tomnog2014 | 2014-03-19 08:56

上野山清貢

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「魚」 水彩画・紙 31×46.5㎝ 制作年:不詳

上野山 清貢(うえのやま・きよつぐ)1889−1960年


北海道・江別生れ、1909年北海道師範学校・図画専科、1912年太平洋画会研究所、本郷絵画研究所に学ぶ、
以後展覧会多数、1924年帝展入選、1926年槐樹賞、帝展特選、1927年帝展特選、1928年帝展特選、
1930年帝展無鑑査、以後同、1937年新文展無鑑査、以後同、以後日展依嘱出品、1965−1981年遺作展多数

上野山の油彩画は希少で市場にあまり出てこない。あったとしても私などにはとても手が出せない。
作品「魚」水彩画は画帖に描かれたもので小品で資料にちかいものだ。
しかし上野山の精神性に触れることはできる。
油彩画は和製ゴーギャンといわれ爆発的エネルギーの表現に執着した激しいタッチが特徴だが
水彩画の魚などは細密で詩的な雰囲気を漂わせている。
媚びへつらいせずお世辞もいえない不器用なところが長所ともなり短所ともなり
画壇的にはあまり恵まれない立場にいたようだ。



(参考資料)
上野山清貢展図録・北海道立近代美術館(1981年)
上野山清貢画集・北海道新聞社(1982年)
美術グラフ(1969年5月号)


# by art-tomnog2014 | 2014-02-15 18:50

森 清治郎

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「サンクールの眺め(セーヌ河)」油彩画・紙 26×49.5㎝ 
制作年:1958年

森 清治郎(もり・せいじろう)1921−2004年


愛知県生れ、東京美術学校・図画師範科を10年かけて卒業(左大腿部カリエスにより闘病生活を余儀なくされる)、寺内萬治郎に師事、裸婦画、風景画(建物)を鋭意制作、光風会展、日展等多数入選、南薫造賞、1958年、1959年、1986年、1989年 欧州各国へ (フランス、スイス、イタリアなど 藤田嗣治、荻須高徳、保田春彦等と親交を深める)、石仏と民家の作品が人気 三越、日動、大蔵省絵画部等の個展で高い評価を得る。
寺内萬治郎の人格にふれて裸婦に熱中したが、当時はモデル探しの困難さなどで20代後半から画風を大きく転換する。
渡欧以降は建物、特に裏通りを得意とし厚く塗りこんだ独特の描写が評価された。
その後、急激に消滅していく日本の自然を題材とするようになる。後半は古い民家を滋味あふれる作風に仕上げ人気を博した。

「サンクールの眺め」は、1958年フランス現地にて制作した希少な作品である。細密でしっかりとした構成に仕上がっている。
帰国後の1959年「森清治郎滞欧スケッチ展(豊橋文化協会主催・油彩43点)」に出品した作品と思われる。


(所蔵参考資料)
森清治郎展・日動画廊(1978年)
森清治郎展・豊橋市美術館(1992年)
森清治郎画集・講談社(1992年)
寺内萬治郎と森清治郎・呉市、蘭島美術館(2009年)


ー2016年12月1日追記ー
1957年に渡仏、59年まで欧州各地を巡る。現地では仏在住の彫刻家・嘉野稔に世話になる。嘉野は愛車ルノーで仏各地を案内、そのおかげで森はモンパルナスを拠点に仏全土のスケッチができた。
その中の1枚、セーヌ河からみたサンクールを紙に油彩で見事に仕上げた。
モチーフとなる建造物の質感を強調することで異国の空気感を表し、塗り重ねられた重厚な画質と深い色彩は丹念に描きこまれ、単なる写生図にとどまらない。この作品は、帰国後各地の展覧会で展示され、およそ50年を経て私の手元に届くことになった。セーヌ河の辺で写生をしている森の姿が浮かんでくる。





# by art-tomnog2014 | 2014-02-09 16:19

西野久子

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「富士」 油彩画・キャンバス F10号 
制作年:1971年

西野久子(にしの・ひさこ)1914−2008年


静岡県清水市生れ、1937年山崎隆夫に師事、1949年独立美術協会展入選、
1955年女流画家協会会員、 1958年女流展柳美賞、1961年独立展独立賞、
1956年神奈川県立近代美術館買上、1974年文化庁買上、
以後個展多数、雑誌掲載多数、アフリカ各地・南太平洋各国歴訪

西野久子の作品は1960年代に「画面に原色が躍動する抽象画」で“心の激動”と評され注目された。
アフリカと南太平洋の各地へ夫の仕事で同行する。
ケニア、エチオピア、ウガンダ、バヌアツ、フィジーなどの輝く太陽のもとで生きる女性や子供、
そして花に人間の生きる喜びと尊さを感じる。
それはやがて西野の作品として力強く奔放に開花し人気を博す。


(所蔵参考資料)
西野久子展図録・東京セントラル絵画館(1982年)
西野久子展図録・茅ヶ崎市美術館(2001年)



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「花」 油彩画・キャンバス F4号 
制作年:1980年代(推定)




# by art-tomnog2014 | 2014-02-09 14:50

西尾善積

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「アネモネ」 油彩画・キャンバス F3号 
制作年:不詳

西尾善積(にしお・よしずみ)1912−1995年


京都市生れ、1939年東京美術学校卒業、在学中の1938年第2回新文展入選、藤島武二、川島理一郎に師事、
1943年第30回光風会展光風会賞、戦後も同会会員、審査員、評議員、
1947年第2回日展特選、菊華賞、1958−1960年フランス留学、1993年日展参与

「私は眼に映ずる自然の美しさによって感受された感動をいったん自己の夢の世界に還元してから
純粋な造形的表現によって厳しく形成し
自然の永遠の美しい生命をカンバスの上に想像したいと念願してます。」(談:西尾善積)

西尾の作品は透明感があり心象的である。
それは上述のように被写体を永遠の美しい生命とし
絵画という手法によって残したいという純粋な思考に基づくものである。
絵や字体はその人柄を物語るが優しき美は西尾そのものであろうと思う。
作品「アネモネ」はボロボロの額を身にまとってリサイクル業者の手元で静かに眠っていた。
なんと勿体ないことか。眼がしらが熱くなった私はなんとしてももう一度世に出したいと思った。
「優しき美」は尊いのである。



(所蔵参考資料)
練馬区立美術館・「芸術は寿し」展パンフ(2008年)
ガラス絵の技法・西尾善積著(1981年)



# by art-tomnog2014 | 2014-02-08 22:55

國領經郎

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「О夫人像」 油彩画・キャンバス F8号 
制作年:1948年

國領經郎(こくりょう・つねろう)1919−1999年


横浜市生れ、1941年東京美術学校図画師範科卒業、1942年新潟県立柏崎中教諭、
招集をうけ近衛師団入隊、のち中国中央部に渡る、1946年復員、1947年柏崎中に戻る、
第3回日展入選、1948年初個展・柏崎市役所 「女醫さん」「O夫人像」など30点、
以後光風会展・日展多数入選、1972年横浜国立大学教授、1976年日展会員、
1991年日本芸術院賞、日本芸術院会員、1992年日展常務理事、1994年勲三等瑞宝章



國領經郎の軌跡は大きく3段階に分けられる。
●初期(1937−1953):西洋的感性との闘い、初期印象派的・後期印象派的な模索、立体派的手法の試み。
●点描(1954−1971):点描画への動機は画業の行き詰まり、原因は器用さ、器用さの矯正として時間のかかる点描を試みた。
●砂丘(1972−1998):砂丘の風景を30数年にわたって描き続けた中で痩せゆく砂丘に悲観を禁じえなくなった、
これを当時の学園紛争で見た若者らの孤独・孤立感と重ね合わせたことから砂上の漠然とした空間に無言で佇立する若者の群像で表現した、その後テーマは「砂丘と添景人物」「砂丘と鳥」「砂丘と量感のある群像」「砂丘と水溜り」といった具合に展開した。


「O夫人像」は数ある図録に作品名の掲載はあるものの、作品写真はどれも掲載されていない。
おそらく当初よりモデル自身が所蔵し、非公開だったためではないだろうか。
時は流れ、モデルの遺族が所蔵していたものを手放し、偶然にも私が市場で発見した。
ブルー色を強調し西洋的感性へ果敢に挑んだ所期の希少作品、資料的価値の高いものと思う。

作品を顕彰するうちに後掲のモデルを同じくするデッサン画を発見、
その作品に添付されていた書簡からモデルO婦人の実在がわかった。
(國領が新潟県柏崎市在住の1940年代後半、O夫人は、國領から絵画の指導を受けていたようだ。
作品のO夫人の右手には絵筆がある。)


(所蔵参考資料)
第2回宮本三郎展記念賞・國領經郎展図録(1983年)

國領經郎展図録(1999年)

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「婦人像」 デッサン画 F5号 書簡付 制作年:不詳
1997年朝日新聞社主催デッサン展 出品作

添付の手紙には
「婦人像」デッサン、奥様がモデルです。
記念にお送り致しますので、お納めいただければ幸いです。
と國領の自筆で書かれている。
デッサン展は平成9年秋に銀座松屋で開催された。盛会裡に終了したとの礼状も添えられている。

モデルはA大学のO名誉教授の夫人、1940年代から家族ぐるみの親交があった。
先の油彩画「O夫人像」のモデルを裏付ける希少なデッサン画である。


# by art-tomnog2014 | 2014-02-08 15:53

大森朔衞

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「市邑」(しゆう)油彩画・キャンバス F4号 
制作年:1980年代(推定)

大森朔衞(おおもり・さくえ)1919−2001年


香川県小豆島生れ、1940年独立美術協会展入選、1941年日本美術学校洋画科卒業、
以後 自由美術協会、新制作派協会など入選、1944年第二次世界大戦応召によりスマトラへ、
1946年復員、戦災で全作品が焼失、1950年モダンアート協会設立会員、1959年行動美術協会会員、
1960年現代日本美術展K氏賞、以後 行動展、毎日現代美術展、みずゑ賞選抜展など多数入選、
1980年武蔵野美術大学教授に就任、
1982年フジテレビ「テレビ美術館・大森朔衛特集」出演、1999年行動美術協会退会、以後無所属

<所蔵>神奈川県立近代美術館、香川文化会館、大川美術館、富山県立近代美術館、
高松市美術館、府中市、府中の森芸術劇場、玉川近代美術館、武蔵野美術大学美術資料図書館


大森の作品は「内的世界の表現」だという。

写実は相当な修練を経て成立するものだがそれに満足しない作家もいる。
大森はそのひとりだ。
対象と自分が思念との間の融和、摩擦、違和、葛藤のドラマに心魂をふりしぼるのだ。
「僕の絵は、抽象と具象という2つのスタイルがあるとすれば
その間をちょうど時計の振子のように行ったり来たりしながら制作していると言えるでしょう」と語っている。

作品のタイトル「市邑」(しゆう)とは、都市景観を指す。
タッチは、“ものとものとの接線”を重視して描く大森特有の技法でまさに街のもつ葛藤を表現している。
「市邑」の大作F100号とF30号は香川県立ミュージアムに収蔵されている。



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「臥裸婦」油彩画・キャンバス F6号 
制作年:1970年前後(推定)






(参考資料)
アトリエ600号(1977年)、622号(1978年)、画集・大森朔衞美術館(2015年)
 


# by art-tomnog2014 | 2014-02-08 12:18

廣本季與丸

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「李」(すもも) 油彩画・キャンバス F3号 
制作年:1960−1970年代(推定)

廣本季與丸(ひろもと・きよまる)1908−1975年 


愛知県生れ、1928年太平洋美術学校卒業、1934年帝展初入選、1935年太平洋展相馬賞、
1939年文展入選、1994年兵役・北支派遣、1945年復員、1965年日展無鑑査、
1993年蒲郡市博物館・広本兄弟展、2002年柏わたくし美術館・広本季与丸展、
2006年豊橋美術館・所蔵絵画名品100選絵画ベスト10に選ばれる。

芸術とは権威者の思惑があって評価されてはならないと思うが
どの世界でもそうであるようにそれなりの他力を得なければ世に出ることは難しい。
絵画は特に見た目が明確なので万人が綺麗と感じるものが受けやすい。
それは題材、色彩、技法、大きさなど主観的に感ずる部分と思う。
画家の人柄、生き方、作品の背景などは見た目ではわからない。

物故画家は特に生存中の評価?が後世に残る。
名も知られていなかった画家の多くは跡形もなく消えていく。
そんな中で没後37年、廣本は再評価されている。

画家を志し20代に帝展・文展等で入選、頭角を現わすも36歳で出征し画業中断、
戦後復帰し日展出品歴多数、最終的には無鑑査となるが賞には恵まれなかった。
画壇の中心人物や審査員との関わりを意図して持たなかったことが評価の舞台に上がらなかった由であろうか。
作品は身近なものばかりで地味な静物画や家族をモデルとしたものだ。

画家の信条は画集等に次のように残されている。

<永遠なる生命感を>
これが私の信条です
空を描けば 風を感じ
水を描けば 汲み取れる水を
人を描けば 肉体の暖かさを
仏を描けば 幾年を経た良さとこうごうしさを
石を描けば 其の重量感を
花ならば 其のみずみずしさと香りを
子供を描けば その歌声も
画道に熟練は元より
詩あり文学をともなってこそ
永遠なる生命があり
人々の心に応えるもののある作品を願う

静謐に描かれた李から清貧な生きざまを感じる。
まさに画家の信条が表現された作品と思う。
これほどの画が世に埋もれてしまってはもったいない。
目利きコレクターの間で再評価されている廣本作品は
閉塞感漂う今の時代の人々に真の生き方を示唆しているように思う。



(所蔵参考資料)
廣本季興丸画集(2007年)





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「花」 油彩画・キャンバス P8号 
制作年:1960−1970年代(推定)

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「ザクロ」 油彩画・キャンバス F8号 
制作年:1960−1970年代(推定)

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「裸婦」油彩画・キャンバス SM号 
制作年:1960−1970年代(推定)



# by art-tomnog2014 | 2014-01-25 11:55

内田 晃

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「ベネチュア風景」 油彩画・キャンバス F6号
制作年:1970年代
        

内田 晃(うちだ・あきら)1918ー2004年

埼玉県生れ、1954年白日展入選、1955年白日展特選・会友推挙、1958年白日会会員推挙、
1967年第一美術展特選・会員推挙、1968年第一美術展特選・委員推挙、
1969年1970年第一美術展最高賞、1974年大調和会会員推挙、1975年大調和会委員推挙、
1986年画業50周年回顧展、1989年大調和展文部大臣賞、2002年二元会常任委員推挙、渡欧30回超える。


西欧風景画、静物画に定評のある洋画家
また人間愛、平和を尊ぶ社会風刺作品も貴重で画家の人柄が知られる。
代表作は「壁」(さまざまなチラシが貼られた壁の中に戦争反対のちらしがある)、
「征服者」(地球をゴミが汚染する)、「相続争い」、「老いたるボス」などの芸術的作品がある。

70年余りにわたる業績は数多くの作品を残した。
ゆかりの埼玉県飯能市では名栗庁舎ギャラリーにて「画業70年をたどる内田晃展」(平成17年7月~8月)が開催された。
一方で生活のために売り絵といわれる画廊や百貨店での個展を余儀なくされる。
ここで内田の絵は一般個人等に人気を博し売れまくる。
出身地の埼玉では地場企業の社屋や個人の資産家宅に収まっている。
卓越した技量は多くの人を魅了した。
それは生涯、職人画家であることにこだわり続けた画家自身の生き方によるものだろう。
没後10年、最近のオークションでの内田作品は高値で取引されている。
生前の人気が継続している証しである。

多くの作品は2004年に埼玉県飯能市に寄贈されたがそのまま死蔵されてしまうのか。
あるいは美術館レベルで紹介される機会があるのか。
このまま埋もれたら勿体ない。
再評価する専門家の手にかかっている。

この作品は古書店を営んでいた亡き従兄が闘病生活の時に
絵画好きの私に贈ってくれた涙の記念品であり内田晃を顕彰するきっかけをつくってくれたものである。


(参考資料)
画業70年をたどる内田晃展パンフ(2005年)



<他の作品>

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「ばら」 油彩画・キャンバス F3号 
制作年:1970年代

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「武蔵野晩秋」 油彩画・キャンバス F3号 
制作年:1970年代

 

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「ポピー」 油彩画・キャンバス SM号 
制作年:1973年


# by art-tomnog2014 | 2014-01-24 21:39

平凡なサラリーマンが20数年かけて蒐集した絵画を紹介しています。

by art-tomnog2014
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