2014年 03月 22日
高野三三男
「頭巾の女」 油彩画・キャンバス F8号
制作年:1960年代推定
高野三三男(こうの・みさお)1900−1979年
東京・深川生れ、1921年東京高等商船学校中退、本郷洋画研究所入所、
1922年東京美術学校洋画科入学、
1924年岡田謙三、高崎剛、岡上りう等と渡仏、
サロン系展覧会出品・仏国画壇で評価される。
1930年仏国政府買上、藤田嗣治、薩摩治郎八と交流、
1940年帰国後、一水会会員、文展・日展等の審査員
日動サロン図録(1965年)に似た作品あり。その頃に描かれたものと推測する。
独自のパレットナイフで描く作品はその特異性から後年、画にクラックが入ってしまう特徴もある。
1930年代当時は繊細で優雅な点を評価するものもあれば、
ローランサン風の甘さを批判する向きもあり賛否両論とあるが
パトロン薩摩治郎八は「彼だけは何時巴里に返り咲いても、めしの喰える日本画家である。」と手ばなしで誉めている。
確かに当時、巴里に住み、絵を売って生活できた日本人は藤田、荻須、高野だったといわれている。
私は半世紀も歳が違い出合うことはあり得ないが、30歳代の高野の活躍を目のあたりにしたかった。
それほど高野の作品に惚れている。
(所蔵参考資料)
高野三三男アール・デコのパリ、モダン東京・目黒区美術館(1997年)
薩摩治郎八と巴里の日本人画家たち(1998年)
高野三三男展・日動画廊(1965年)
美術手帖1951年10月号
パリの日本人画家、1920年代を中心に・目黒区美術館(1994年)
「裸婦」鉛筆、コンテ・紙 55×44㎝ 制作年:1930年代推定
パリ滞在時代の油彩画「コロンビーヌ」(1929年)やデッサン「花を持つ裸婦」(1930年)と
モチーフ、構図、質感が同じである。
両腕や手指のアンバランスさは高野の特徴であり
安らぎを求める顔の表情に重きをおいた独自の作品と感じられる。